2002年10月、NSW州レイク・マコーリー。函館市長・井上博司は、両市の姉妹都市提携10周年を祝う式典での、歓喜の渦の中でこれまでの日々を思い返していた。
1986年、函館。同市を北海道の窓口とならしめ、北海道新幹線の呼び水となることを期待された青函トンネルの開通を翌年に控えたこの年。同年5月に就任したばかりの市長・木戸浦隆一は、基幹産業である遠洋漁業の凋落と、それに伴う造船の衰退によって、閉塞感の漂う函館に、新たな産業として観光を推し進め、国内のみならず海外からも観光客を誘致することにより、かつての元気を取り戻させるべく、真の国際都市を目指すことを決意した。他国との交流を模索していた折り、東京のオーストラリア大使館より、湖を擁する風光明媚な観光地という共通点を持つ町を紹介された。それがレイク・マコーリーだった。両市の交流が始まった。これより、両市は親善使節団を互いに派遣、姉妹学校の提携を結ぶなど、精力的な交流が続く。
かくして1992年7月、函館の市制施行70周年を機に両市は待望の姉妹都市提携を果たす。当時、バブル経済の破綻による未曾有の不況は、景気に左右されやすい観光業を直撃、他に盤石な産業を持たない函館にとって、一大危機が訪れていた。その中にあって、このことは市民に明るい光をもたらすものであった。函館市を訪れたカーリー市長(当時)と木戸浦が和やかに調印を行う傍らには、当時企画部長であった井上の姿があった。
その後もラグビー、ヨットといったスポーツ交流や学校交流、文化交流など、市民交流を中心に両市の関係はより深いものとなっていく。1995年にはレイク・マコーリー市より総勢175名の交流団が来函、提携5周年の1997年には函館から374名もの大訪問団がレイク・マコーリー市をチャーター機で訪れたほか、毎年函館の中学生がレイク・マコーリーを訪問しホームステイするなど、活発な交流は続いていた。
2002年7月、函館。市制施行80周年記念事業の一つとして、函館での姉妹都市提携10周年祝賀式典が開かれ、レイク・マコーリー市からはジェネラ
ル・マネージャーのホルト氏が出席。1999年に病気辞任した木戸浦に代わって市長に就任していた井上と固い握手を交わし、3ヶ月後に彼地での再会することを約束した。辞任後間もなく急死した木戸浦の墓前で、井上は、10年前に木戸浦が蒔いた種が、立派に育っていることを報告した。
再び2002年10月、レイク・マコーリー。キルパトリック市長らから盛大な歓迎を受けた井上ら訪問団一行92名は、様々な交流行事に出席。井上は、お互いが皆、10年前と同じ気持ち、同じ情熱を持ち続けていたことに感動した。10年分の感謝を伝え、労をねぎらい、これからの交流発展を誓い合った。
行事の終わりは記念植樹祭であった。最後に、井上が桜を、市の中心に設けられた交流記念公園に植樹した。
「両市の交流がこの桜のように、今後ますます大きく育ち、色々な分野での交流の枝葉が育つことを祈念いたしまして、ご挨拶といたします。」
函館とレイク・マコーリーに蒔かれた交流の種は、今、大きく花開いている。 (文中敬称略)
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