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姉妹都市ものがたり

タウンズビル(QLD)
いわき市(福島県)

10周年記念行事の実現へ・・・
両市民の思いを乗せた「ミコシ」

「ミコシ」を囲んで…。
「ミコシ」を囲んで…。
中央紋付袴姿は、左から、 塚田桂祐シドニー事務所長、
四家啓助いわき市長、トニー・ムーニータウンズビル市長

「わっショォイ!」「わっショォイ!」

少し英語訛りの混じった、子供たちの威勢の良い掛け声が街中に響き渡る。ここはタウンズビルの目抜き通りフリンダース・ストリート。市民手作りの「ミコシ」を担いだタウンズビルの子供たちが市内を練り歩く。

2002年5月19日。今日は、タウンズビル市といわき市の姉妹都市提携10周年記念式典の日である。この日のために、いわき市からは市長以下40名からなる市民訪問団が来ている。式典に引き続いて、これから3日間にわたる両市民交流祭が開かれるのである。「ミコシ」パレードは、その目玉行事だ。

 タウンズビル市は、クイーンズランド州東海岸の北部に位置する熱帯都市。人口は約14万人で、州都ブリスベンに次ぐ同州第2の都市である。オーストラリア最大の銅の精錬工場を持ち、いわき市の小名浜港へも亜鉛・銅を輸出している。あまり知られてないことだが、1896年、オーストラリアで最初の日本国領事館が置かれたのが、このタウンズビルだ。

一方、いわき市は福島県の東南端に位置する人口36万の港湾都市。人口では仙台市に次いで東北地方で2番目、面積では市として日本最大の都市である。

既に中国の撫順市との間に友好都市提携のあったいわき市が、英語圏との姉妹都市提携を求める市民の声を受けて、小名浜港と交易がある港湾都市タウンズビルとの姉妹都市提携を結んだのは、1991年8月21日のことである。以来10年にわたり両市民は様々な交流の輪を育んできた。

1991年提携、ということは本来10周年は2001年のはずである。事実、記念行事は昨年秋に行なわれるはずだった。だがそれは、他の多くの国際交流事業同様、あの9月11日の悲劇の前に吹き飛んでしまったのである。しかし、国際情勢がやや落ち着きを見せてきた2002年5月、延期していた記念事業を開催しようという気運が、再び両市民から盛り上がる。元々、目玉行事の「ミコシ」パレードは、御輿を日本から搬送し、その費用を両市役所が負担する計画だった。しかし、年度が変わった両市役所に御輿搬送のための予算はなく、御輿を担いでパレードをするというこの計画は頓挫するかに見えた。

だが、タウンズビル市民は諦めなかった。「日本から運ぶことが出来ないのなら自分達の手で作ろう。」そして御輿の製作を開始する。「どうしてもやりたい。」このタウンズビル市民の心意気に呼応していわき市民は、御輿の写真や設計図、専門家のアドバイスを送り、これを応援する。そうして、御輿は出来上がった。それは、日本の御輿にオーストラリアの心が混じり合い溶け込んだような、一味違う「ミコシ」だった。そう、それは、両市の交流を象徴し、彼らの思いを凝縮したような、市民手作りの、温もりのこもった「ミコシ」であった。

このパレードの日、子供たちが小さな体で懸命に担いでいるのは、両市民の交流への「思い」そのものなのかもしれない。この小さな担ぎ手たちはやがて成長し、そしていつか両市の交流の「未来」の担い手となって行くことだろう。

両市民の思いを乗せた「ミコシ」が今、未来へと運ばれていく。小さな担い手たちによって。晴れ渡った青空の下、彼らの元気な声が沿道の人々の胸に、いつまでも響き渡る。

「わっショォイ!」「わっショォーイ!」

memo >>
ブリスベン出身のポール・ストロナックさんは、(財)自治体国際化協会が事業協力するJETプログラム(語学指導等を行なう外国青年招致事業)によって、いわき市において3年間英語指導助手として勤務した。帰国後、ポールさんは姉妹都市の取り持つ縁で、タウンズビル市の学校に勤務し、現在も子供たちの日本語教育に当っている。
また、いわき市は現在、(財)自治体国際化協会シドニー事務所に、大平賢一所長補佐を派遣している(2002年当時)。記念行事には塚田桂祐所長と共に大平補佐も駆けつけ、両市民の交流に助力した。そして、この式典の3ヶ月後、塚田所長は、両市の一層の交流発展に向け、大平補佐をタウンズビル市役所でのインターンシップ研修に派遣した。

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