交換留学を通して広がる交流の輪
藤枝市とペンリス市との姉妹都市提携は、1980年代の日本の国際化の風潮の中、82年に藤枝市で開催された行政と民間との話合いの場に端を発する。以後、民間主導による姉妹都市提携の検討が進められたが、提携の目的は青少年交流を中心とすることとされ、相手先を英語圏の治安や交通の便のよい地域に限定して選考した結果、日本の都市との提携を望んでいたペンリス市にたどり着いた。そして、藤枝市制
30周年を記念する84年11月3日の文化の日に、藤枝市で調印式が行なわれた。
当初の目的どおり、調印の際の宣言書にも「次代を担う青少年中心の国際交流」の精神が謳われ、86年に第一回目の交換学生事業が実施された。以来、2001年10月までに実施された交流で15回を数える。
毎年、双方から6名ぐらいずつの学生が7月から10月の期間に3週間程度派遣されており、藤枝の学生がホームステイした家庭の子どもを、その学生の家庭がお返しとして受入れる方式で実施されている。
シドニー五輪の開催時期と重なった2000年には、いったんは見送りも検討されたが、この事業の重要性を認識していたペンリス側の配慮もあり、時期を早めての実施となった。
また、近年は、この交換学生事業に加えて、藤枝で盛んなサッカーを通じた少年チームの交流も数回実施されている。豪州でのサッカー人気も、その実力と共に着実に増してきており、この交流も、今後さらに発展する可能性を秘めている。
姉妹提携15周年に当たる99年には藤枝市で記念祝賀会が実施され、ペンリスからも代表団が来日したが、翌年には、逆にペンリスを舞台にした2つの記念行事が行なわれた。まず、2000年1月、藤枝市在住の彫刻家である杉村孝氏がペンリスを訪れ、約40日間のテント生活を送りながら「わらべ」像(石像)3体を創り上げた。そして、その除幕式が2月に行なわれた。3体の像は、向かって右側から藤枝、オーストラリア、ペンリスを象徴しており、藤枝の「わらべ」が、ペンリスの「わらべ」に、サッカーボールならぬ「友好のボール」を手渡そうとしている様子を現している。このわらべ像は今、ペンリス市中央図書館
の中庭に設置されており、ガラス越しに子ども達の将来を見守っているかのような穏やかな表情を見せている。
もう1つの記念行事は、わらべ像の除幕式の前日、同市の西側を流れるネピアン川を見下ろす公園で実施された「フレンドシップ・パビリオン」(日本風のあずまや)の完成式である。このあずまやはペンリスと藤枝の12年来の夢であったという。傍に添えられた銘板には、あずまやが両市の友好の証であることが刻まれた。
このあずまやのある公園から河畔の遊歩道を歩いていくと、日系企業「サン・マサムネ」の日本酒製造工場にたどり着く。豪州産ジャポニカ米とブルーマウンテンの水を使い日本の醸造技術で意欲的に新製品を産み出している現場がそこにある。ペンリスと藤枝の交流も、異文化間の純粋な素材の交流により、バランスの取れた熟成された人材を国際社会に送り出すための現場といえるかもしれない。
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