メルボルンと大阪の交流は、姉妹都市交流以前に遡る。大阪港が豪州向けコンテナ定期航路の中心基地であり、従来から港湾関係者の相互訪問があったことから、74年10月9日にメルボルン港と大阪港の姉妹港提携が行われた。それをさらに市民レベルの交流にまで友好親善の輪を広げようとの機運が高まり、3年半後姉妹都市提携に至った。
ご存知のとおり、ビクトリア州の州都メルボルン(都市圏人口約340万人)は、シドニー(同約400万人)と並んで豪州を代表する都市である。特に、芸術文化やファッションの中心地と言えば、メルボルンが筆頭に挙げられる。また、競馬のメルボルン・カップ(11月の第1火曜日)、テニスの全豪オープン
(1月中旬)、F1のオーストラリア・グランプリ(3月上旬)など、海外にも知られるようなオーストラリアの代表的イベントはメルボルンに集中している。
また、日本にはあまり知られていないことだが、キャンベラが1927年に首都機能をスタートさせるまでの暫定政府はメルボルンにあった。
一方、大阪は「水の都」とも言われる日本第2の都市だが、落語や漫才をはじめとする様々な関西文化圏の中心であり、食い道楽の街でもある。これも発見がそれほど古い話ではないのであまり知られていないが、市内に日本最古の都「難波(なにわ)の宮」跡地がある。
メルボルンと大阪市はこれまで順調に活発な交流を続けてきたが、その背景にはこうした互いの土壌が似ていることが大きくプラスに作用していると思われる。大阪の人と話していると東京を意識した発言が出てくることは珍しくないのと同様、メルボルンの人と話すときにシドニーを意識した発言が出ることも珍しくない。メルボルンのレストランで「メルボルンの料理はおいしい。」と言うと「シドニーよりおいしいだろ。」と言われたこともある。
そんな両市の20周年にあたる98年には、両市で各種の記念行事が行われたが、メルボルンにおける主要イベント「The Bite of Osaka(大阪食フェア)」では、約5万人が来場し、お好み焼き、ウドンなど代表的な大阪の味を楽しんだ。なかでもタコ焼きは長蛇の列ができるほど大好
評であった。
ビジネス分野でも、95年に大阪市で開催された第1回会議に引き続き、98年4月第2回「メルボルン・大阪ラウンドテーブル会議」が開催された。同会議は、多方面に渡る交流を促進するため「ビジネス・投資」、「芸術・文化交流」及び「都市運営」の3つの部会で構成され、それぞれの分野における両市の代表
が意見を交換した。
ダブルハンド・ヨットレースの際には、両市で市民参加のイベントが数多く開催される。99年のメルボルンでは、世界各地の料理を出すレストランが55店参加し、100種類以上の料理を楽しめる「Around
the World in 80 Dishes(80皿世界一周)」で、2日間に5万人が再開発地区ドックランズの会場を訪れ、係留されたレース参加艇とも交流した。
オーストラリアの姉妹都市希望自治体は、日本の自治体との交流内容として、日本側が希望する教育交流よりもむしろ経済交流を期待する傾向がある。今回紹介した、街の雰囲気、人々の気質の似た両市の多方面に渡る交流内容は、経済・文化交流の好例と言えるだろう。 |