日本はオーストラリア
にとって最大の貿易
相手国、輸出に占める
シェアは20%で第1位、
輸入に占めるシェアも
14%で米国に次ぐ第2
位だ。それだけ経済的な
存在感が大きい日本との
姉妹都市交流を、地域
経済の振興にも活かし
たいと考えている自治体
は多い。
実際に具体的な商談や
投資に結びついたという
ケースは稀だが、交流を
通じて培われる親日感情
や友好ムードは、豪州で
経済活動を行う日本企業
にも好印象を与えている。
今回紹介するのは、日本
の姉妹都市との交流が
日系工場の誘致に貢献した
バララットという町の
エピソードだ。 |
バララットは、メルボルンの西110キロに位置するビクトリア州内陸部の中核都市(人口約8万人)。現在は製造業や小売業が主力産業だが、歴史的には、
1851年に金が発見され、一攫千金を夢見る男たちが世界中から押し寄せて町が発達した。ほとんどの金鉱は19世紀末までに掘り尽くされたが、ゴールド
ラッシュ当時の街並みを再現した野外博物館「ソブリン・ヒル」を訪れれば往事の賑わいを想像でき、砂金取りも体験できる。今でも地下深くに金脈が眠ってい
るが、採掘コストが高くつき、現在の金価格では採算が合わないのだそうだ。
一方、兵庫県南東部の猪名川は、その昔、東大寺の大仏鋳造の際に銅を献上したと伝えられる銀山を中心に発展した町だ。そこにたまたまバララット出身者が
滞在したことが発端になって、金の町と銀の町との交流が始まった。定期的に中高生の相互訪問や児童生徒の絵画作品の交換などが行われているほか、提携10
周年の98年には、猪名川町から「源流太鼓」の13人がバララットを訪問し、ダイナミックな和太鼓演奏で観衆を魅了した。金で栄えた歴史を感じさせる重厚
なバララット市庁舎のレセプション・ルームには、九谷焼の唐獅子像、羽子板、日本人形など、数々の記念品が立派なケースに飾られていて、両市町間の交流の
親密さがうかがえる。
バララットでは、猪名川町との交流事業を運営するため「ジャパン・コミュニティ委員会」が組織されているが、95年、豪州の現地工場の建設地を探してい
た日本企業「はくばく」(本社・山梨県)の調査団がバララットを訪問した時、この委員会が中心になって歓迎行事を催した。その温かいもてなしと親日ムード
が調査団に好印象を与えたことが、他の候補地を抑えてバララットが建設地に選ばれる決め手になった。郊外の新しい工業団地に建設された工場は、州首相を迎
えて98年3月に正式オープンし、26人の現地従業員を雇用して、ビクトリア州やニューサウスウェールズ州で生産される有機栽培小麦を原料とする乾麺を、
主に日本向けに製造している。
国境を越えた友好親善を目的とする姉妹都市交流は、必ずしもビジネスに直結するものではない。しかし、バララットのエピソードが物語るように、交流を通
じて築かれる「開かれたコミュニティ」は、グローバルな時代の地域経済振興において、大きな役割を果たすことができるだろう。
|