シドニーから北へ800キロ、亜熱帯性の温暖な気候に恵まれるリズモアは、
酪農や果樹栽培が盛んな人口5万の地方都市だ。前回、このリズモア出身で、
キャンベラと奈良市との姉妹提携の縁を取り持ったトニー・グリン神父の
エピソードを紹介したが、その弟であるポール・グリン神父も、兄に続いて
55年に日本に渡っている。60年に休暇で一時帰国した同神父は、豪州では
60以上の都市が姉妹縁組をしているのに、日本との提携は皆無だと知り、
赴任地である大和高田市との提携を郷里リズモアの人々に働き掛けた。一方、
当時の名倉仙蔵・大和高田市長は、戦後まもなく奨学生として米国留学し、
その頃には珍しい国際的な視野を持つ人物で、同市長も神父の提案に賛同し、
こうして日豪姉妹提携第1号が両市の間で結ばれたのだった。
日本軍との戦闘や捕虜収容所での強制労働で、多くの兵士の命が失われた
第2次大戦の後、豪州では激しい反日感情が渦巻いていた。そんな中、
グリン兄弟を日本に向かわせたのは、2人が通ったリズモアのハイスクール
の先輩で、ラグビーの花形選手だったライオネル・マースデン神父の影響だった。
戦争が終わり、学校を訪れた神父は、生徒たちにこんな話をした――従軍司祭
として出征した神父は、シンガポールで日本軍の捕虜になり、炎熱下の過酷
な労役のため「死の鉄道」と呼ばれた泰緬(タイ−ビルマ)鉄道の建設現場
に送られた。ある日のこと、捕虜への暴力に抗議したため日本兵に殴り
倒された神父は、相手を殺したいほどの怒りと憎しみに駆られ、思わず日本
兵の首に手を掛けてしまう。神に仕え愛と赦しを説くべき自分が、憎悪の
感情に押し流されたことを深く悩んだ神父は、一つの誓いをする。それは、
戦争から生きて帰れたら日本に赴き、日本人のために尽くすことで赦しを
求めることだった。「日本人を憎んではいけない。憎しみは戦争につながる。
自分は『死の鉄道』の代わりに、豪州から日本への『愛の鉄道』を築きたい。」
そう語る神父の信仰心と博愛精神に感動したグリン兄弟は、聖職者の道を選び、
神父の後に続く決意を固めたのだった。
4月25日のアンザック・デーには、豪州各地で戦没者追悼行事が行われる。
かつては日本人は外を出歩かない方がよいと言われたものだそうだが、ポール・
グリン神父は、今年のその日を「和解のアンザック・デー」として心待ちに
している。その前夜、シドニーのセント・メリー大聖堂で行われる追悼式には、
初めて元日本兵も列席し、キリスト教の司祭と仏教の僧侶が合同で、国を問わず、
すべての戦没者に祈りを捧げるのだ。リズモア出身の3人の神父をはじめ多く
の先人たちの尽力が、世紀を越えて大きな実を結ぶことになりそうだ。